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たのです。
 この我を釈迦は「独尊」と言われました。
 この独尊の我が真実であり、この真実に生きる我が「唯我独尊」なのです。

 しかし、以上の解釈は「唯我独尊」の四字熟語の文字の意味ではありません。
 「唯我独尊」の四字熟語は、文字通りの「ただ我が独り尊い」という意味です。

 ところが「我」の実体は依然として「独り善がりのうぬぼれ」です。
 ですから釈迦は、生まれるとすぐ「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」と言われました。  つまり、この「独り善がりのうぬぼれ」が人々で有り、この未熟な「我」を釈迦は尊いと言われたのです。
 なぜなのでしょうか。

未熟者と日本晴れ(五)

 ちなみに、  親鸞聖人は「善人なお以って往生をとぐ、いわんや悪人おや」と言われました。「善人でも往生できるものなら、なんで悪人が往生できない事があろうか。」と言う意味です。
 親鸞聖人は、ご自分の事を「愚かな禿げ」と言われました。(親鸞さんは禿()げ頭だったのでしょうか)
 良寛さんも、ご自分を「大愚(だいぐ)」と言われました。
 そればかりでは有りません。僧侶はご自分を「愚僧」と言われ、武士は「拙者」と言いました。


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