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         この四聖諦の中の苦諦と集諦は、私達にも経験がありますから判ります。
        しかし滅諦と道諦は、私達には経験が有りませんから、本当かどうか判り
        ません。しかし釈迦が説かれた教えですから、修行者や信者達は、苦諦・
        集諦の欲望を離れ、滅諦と言う大我を求めて修行しました。このような修行
        者を私達は敬いました。

         しかし実際に滅諦を諦めた人は、釈迦以外に実在したのでしょうか。判り
        ません。しかし、羅漢様は、滅諦を諦め、悟りを得た方々だと聞いています。
        達磨大師もおそらく滅諦を諦めた方でしょう。しかし達磨の弟子に成りたい
        と言って、左腕を切り落とし、それを差し出しながら入門を願った慧可(えか)は、
        どうだったのでしょうか。有名な「慧可断臂(えかだんぴ)」の達磨図国宝に出てくる慧可(えか)
        は、滅諦を諦めた人なのでしょうか。私は知りません。
         それどころか滅諦の真実が、人間が経験出来る事実であると、今も信じて
        いる人が居るのでしょうか。
         今の世界には、もう居ないのではないでしょうか。
        滅諦すれば、小我を滅し大我の目が開くと説いた釈迦の教えは、言葉だけ
        の戯言であり、心の真実だと思う人は、もうこの世には居ないのではないで
        しょうか。

         しかしそれでも釈迦は、私達のために四聖諦を説き、人間が経験できる当
        然の真実として、悟りに到る(はっ)正道(しょうどう)を説かれました。


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