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えっ・・・私がですか? 有り得ません。
 では、誰がするのですか。
 貴方は一人で生まれ、一人で死んで行きます。貴方がやらずに、誰がやるのですか。
 誰にも、貴方の代りはできません。貴方がご自分で、この始末を付けなければなりません。

 「・・・・・」
 ダメです。 合掌です。

 往生際(十三)

 メジロが、梅の枝に刺したみかんを、ついばんでいます。食べ尽くすと、居なくなります。でも、また刺してやると、帰ってきます。
 これをヒヨドリが見付けると、メジロを追い払って、わが物顔でついばんでいます。でも、このヒヨドリを、私が追い払うと、またメジロが帰ってきます。
 これが、この世の中の、因果な因縁です。
 この愚行が積み重なって、人々に、悲しい憂き目を、引き起こしてしまうのです。

 これを釈迦は「苦諦(くたい)」と説き、小我の仕業(しわざ)だと、「諦め なさい」と言われました。
 そして、この小我の関わりから作り出される、計り知れない困難の元が、縁起であり、これを釈迦は「集諦(しつたい)」と、 説かれました。
 人々が、我欲に任せ、物欲を欲するままにしていれば、やがてこの世の中に、地獄を作り出すことになる。だからこの真実を「諦めなさい」と、釈迦は説かれました。
 もうここまで来れば、私達には「滅諦(めったい)」しかありません。 滅諦(めったい)とは、一切の「(われ)」の(こだわ)


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