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 そうです。
 赤子の苦しみの元が、自我だと知っているなら、戒めてやるのが親の努めだったのです。
 しかし、困難を作り出す元が、「自我」であることを、解っていなければ出来ません。
 ですから、今の親にはできません。
 今の親は、良い学校に行き、良い大学を卒業し、良い就職先に勤めさせるのが、親の務めだと思っています。 これでは、子供の知識は豊かになっても、「いとしい子」の心を育てることは出来ません。
 だから、人は育ちません。

 昔の親は「人間の苦しみは、自我の仕業だと承知していました。」ですから親は、「子供は元気で、素直な子に育ってほしいと願いました。」
 子供も同じ思いでしたから、厳しく叱られても親を受け入れました。なぜなら、子供も親の言うことが、正しいと思っていたからです。 でも子供には、正しく生きることは、大変でした。
 ですから子供は、父親の厳しい戒めの分だけ、母親に甘えました。

 この様にして、昔の家族の心は、何時も一つでした。なぜなら、父も厳しい戒めを受け、母に甘えて育った人だったからです。

(かつ) (七)

 ところが、これとは異なる生き方をした、仙涯(せんがい)というお坊さんがいました。


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