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 三島の龍澤寺(りゅうたくじ)山本玄峰老師(やまもとげんほうろうし)と言う、生きた禅を実践し た、最後の禅僧といわれた高僧が居ました。私が龍澤寺(りゅうたくじ)の門を叩いた時には、まだ健在でした。しかし残念ながら、 私には接見(せっけん)できる縁が有りませんでした。岡崎の学芸大学 の、当時はまだ、心理学の助教授だった方に誘われて、出かけました。しかし私の入門は許されず、近くの般若道場(はんにゃどうじょう) で、独り座禅をして帰りました。
 この時、座禅をしている私の両手の(たなごころ)に、鼻汁がいっぱい溜まっていました。この後道場主と意気投合して、横 浜で「禅」の講演会を、企画した事もありしました。
 しかし玄峰老師には、遂にお会いすることはできませんでした。

 終戦の時、日本が無条件降伏をしたのは、玄峰老師の進言が有ったからだと聞いています。

 そして、玄峰老師と盟友だった鈴木大拙(すずきだいせつ)と言う禅学者は、ノーベル平和賞を辞退された方だと聞いています。

 小生にとっては、このご両人が、二十歳前後の、心の支えでした。

 山本玄峰老師(やまもとげんほうろうし)は、ご自分の一生を、「のらり、くらり」と、大きく揮毫(きごう)されました。

 鈴木大拙(すずきだいせつ)先生は、「ノーベル平和賞を辞退されました」これが、ご自分の心に、相応しいと思われたのだと思います。 合掌です。

性根玉(しょうねったま)(八)

 人は、どんなに心を洗い(すすぎ)(みが)(きた)えても、性根玉(しょうねったま)真我(しんが)のままです。
 この性根玉(しょうねったま)は、人々の腹中深くに、鎮座しています。ところが、ここには「独り善がりのうぬぼれ」も同居しているのです。


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