しかし主観を捉える事は、人智には出来ないことだったのです。しかし私達は、日々主観に生きています。 ですから主観を研究することが、私達人間を研究する事だったのです。 ところが主観の研究は、残念ながら行き詰まってしまいました。何故なら、研究者である本人が、自分の主観を自 分から切り離し、これを客観的に研究するのですから、この方法では、過去の自分を見る事になり、ここにはもう、 生ている自分の真実は無かったのです。 そのために今日では、客観的研究者が、データーに因って作り出した人間の虚像を、正しい虚像だとして、人々の 生き方にまで、改善を押し付けてくる弊害は、人間社会の常識を覆し、生活の足枷となり、息苦しい社会の、混乱の 限りを作り出しているのです。
テニスンは、「花を切り刻み、真実を見つけようとしました。」しかし花はもう、死んでいました。 これが主観と客観の違いです。 主観の研究者とは、求道者なのです。
現実に亡くなった科学者の中には、「死に直面して、はじめて恐怖に襲われ、焦燥感に駆られている。」という感
慨をネットで見ました。 |
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