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意味であり、人間の真実だったのです。
 つまり独り善がりが、「ただ我が独り尊いと言う」人間の実態であり、自我を我とする、「唯我」の正しい意味だったのです。
 ですから釈迦は、このような自我も含めて「唯我独尊」と言われました。
 何故なら、自我が自分であり、人であり、我だったからです。  あれあれ?・・・

 それでは「うぬぼれ」が「唯我独尊」の正論ではないですか。

 はい、そうです。

 待って下さい。

 いや、これでいいのです。天上天下唯我独尊とは、完成した人間を指す言葉では無く、 迷い傷つき苦しむ未完成な、私達人間の実態を指す言葉だったのです。
 ですから、これでいいのです。

 道元禅師(どうげんぜんじ)は「心不可得(しんふかとく)は諸仏なり、 だから自ら阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)と、 思いなさいと言われました。
 「心とは分からないものです、その分からない心が諸仏なのです。だから、自分の心を一番良いものだと思いなさい。」と言う意味です。
 つまり、自分の思いは総て自分にとって真実であり、心は我を司る先達として、自分を幸や不幸の境遇に誘い込み、喜びや悲しみを引き起こす、欠くべからざるもの、それが「我」だっ


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