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 四聖諦(ししょうたい)の真実は、苦諦(くたい)集諦(しったい)滅諦(めったい)道諦(どうたい) です。 つまり、これらの、いずれも「(あきら)める」という意味です。
 もう、これより他に、光明(こうみょう)の救いはありません。
 これでもまだ、人々は目覚めることが出来ないのでしょうか。

 出来ません。
 絶望です。
 ・・・・・?
 ならば、諦めるのです。

 諦められなければ、絶望ではありません。まだ、望みがあります。
 本当に絶望なら、もう、諦めるしかありません。人々は、この「諦め」を悟るために生まれて来た、求道者(ぐどうしゃ)なのです。
 こと、ここに至って、まだ、「(ひと)()がりのうぬぼれ」に未練があるのでしょうか。
 ならば、消滅の道を行きましょう。

 なぜ、首を横に振るのですか。
 そのような、未練の残る人々のために、釈迦は、生まれ堕ちるとすぐ、「天上天下唯我独尊」と言われました。なぜなら、この困難を乗り越えるために、叡智を備え持って生まれたのが、「唯我独尊」の、我だったからです。

 ですから人々は、今こそ、ここを乗り越えるために、叡智を尽くさなければなりません。


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