味であり、人々は仏だったのです。
えっ? 仏ですか。
そうです。
衆生と仏 (六)
白隠禅師は和讃の冒頭で「衆生ほんらい仏なり、仏ちかくを知らずして、遠く求むる儚さよ・・・」
と言われました。
衆生とは私達のことです。
また、西院の河原和讃の中には、赤子にさえ厳しく戒める一説があります。
赤子にたいして、
母の乳房がいでざれば、泣く泣く胸を打つ時は、八万地獄に響くなり。
母はひねもす疲れにて、父が抱かんとする時は、母を離れず泣く声は、天地奈落に響くなり。と歌われています。
赤子が「もっと乳が欲しい。お父さんより、お母さんの方がいい」と言って、駄々を捏ねる
「いとしい子」に対して、自我の芽生えを戒める、極めて厳しい言葉です。
なぜなら、やがて突き当たる困難の元が、赤子の「自我」であるなら、戒め諭すのが親であり、親の愛だったのです。
・・・・・厳しい。