この地は今はイスラムの国であり、仏教徒はいません。

 文人画も禅も、これと同じ運命を辿っているのでしょうか。

 ふと、いま急に寂しく成ってしまいました。

 この寂しいと言う思いは、これは無情です。

 無情は有為であり、無の常(無常)は無為です。

 どう違うのかと言うと。情が有るか無いかの違いです。
情が有るからこそ一切に意味が生まれ、意味が有るからやがて激を見る事に成り、戦争や平和・不幸や幸せ等々、 有りとあらゆる事々が起き、我々は終日混乱に巻き込まれて行きます。

 ですから文人は、有欲を以ってその激を見る事はやめ、無欲を以ってその妙を見る、隠遁の生活をしました。

 しかし言葉で言う事は容易ですが、実際に実践するとなると、有欲よりも無欲で生きる事の方が、数万倍も大変なのです。

 しかし自分の心を、自分自身で確りと直視して耳を傾けてみると、心の奥の底のほうで、「お願いです。」 と心が祈っています。「ここから出して下さい。それが出来るのは一人だけです。」と小さな声が聞こえて来ます。
 この声の主を求めて文人は山中に入り、心の底の本心を見極めようとしました。この暮らしぶりが清貧であり、 既に理想に適う無心の境を得ていたのでしょうか。

 自称文人画家である小生は、清貧の処だけは引けを取りませんが、それ以外は余りにもお粗末であり、 歴史上の文人達には、遠く及ばない情け無い実状です。

 そんな私に、文人の地である中国で、席上揮毫が出来る大舞台がやって来ました。

 昨年の今頃、「鑑真坐像里帰り」の式典が中国で行われました。
 前回は唐招提寺の国宝でしたが、今回は東大寺の重要文化財が里帰りしました。

 この式典会場で、屏風揮毫をする為に小生も出かけました。

 これは大変名誉なことでした。何故ならこの揚州の地には、西暦七百四十二年、聖武天皇の命を受けた、 普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)の二人が、鑑真和上その人に会う事が出来た地であり、 井上靖の天平の甍の大舞台となった処でした。そして更に、私の一番好きな石涛がこの大明寺の僧侶でした。 石涛とは、明の王の血を引く方で、僧に成って山水画を書いて居て、命が助かりました。

 中国は王朝が変わると、徹底的に前の王朝の縁の有る物は潰しました。大明寺もごく最近まで 明(みん)の字が入っていたので、大明寺とは言えませんでした。

 この文人の地揚州の大明寺で、山水画の揮毫が出来る事など、夢の又夢の話しでした。

  しかし、そのあり得ない夢が、何故か現実と成ってやって来ました。

 現在の鑑真和上の位の方である、能修大和尚が、小生のアトリエに来て下さって、信じ難いお言葉を頂きました。

「再来年には大明寺本堂の大改修が予定されています。そこに山水画を書いて下さい。」
 と言う依頼でした。

 しかし通訳が、即座に、
「本堂は中国の国宝です。政府の許可がなければ出来ません。」
 と耳打ちしてくれました。

「でも方丈様が言われるのですから、いい加減な話ではないと思います。」

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