知恵が出れば,大嘘、偽りが有るばかりだと言うのです。
私達は、何をしているのでしょう。 お笑い下さい。七十余歳にして、今やっとこの問いがボケの脳裏に生まれました。 現代の人間は、生活は何とか出来るものの、心はズタズタです。 もう、我々には未来は無いのでしょうか。
いいえ、よく見ると現代も捨てたものでは有りません。 まだ他にも有ります。
松本のオーム被害者の河野さんが、悲しみのどん底に居たその時、警察は元よりマスコミや国民の総てが、
河野さんをサリンの犯人として、袋たたきにして責め立てていました。その河野さんが。 |
これこそが本来の人間の心であり、これこそが仏だと思いました。
拘(こだわり)は捨てなければ成りません。 しかし捨てようとしても捨てられません。 この恨みや憎しみの拘りから人間が抜け出す事は、人間業を超えた鍛錬・試練・練磨が必要です。 この修行が文人の生き態で有り。禅僧の修行の実態だったのです。 しかし、この様な叡智が現代社会の常識から無くなり、いまや人間は闇雲の日々に喘いで居ます。 ならば、いかにしたら、鍛錬・試練・練磨を、実践する事が出来るのでしょうか。 達磨は「直視人心見性成仏」と言いました。
自分の本心を一点の誤魔化しも無く、何処までも真直に見定めることです。 この達磨の禅を、実践しようとして座った修行者達の洞窟が、鎌倉や松島や、至る処に今も残っています。 パキスタンに有る紀元前四世紀ごろの佛教大学の遺跡には、人工的に作られた石の穴が、丁度座禅が出来る 大きさで整然と作られ、中央には沐浴するプールも有りました。この近くにはガンダーラ美術館も有り、 西洋と東洋の顔をした仏像が並べられ、仏教が広く行きわたって居た頃が偲ばれました。しかし小生が 尋ねて行ってからしばらくして、タリバンに攻撃されたと言う新聞記事を見ました。また荒廃してしまったのでしょうか。 |
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