(運思揮毫) 天が筆を揮う物なら、
(意画不在) 自分の意画がなければ、 (故以得画) それ故に画は生まれる。 (手以不滞) 手は滞らず、 (心以不凝) 心は凝らず、 (然以可知) 然るを以って可と知るべし。
この読み方は、小生の勝手な読み方ですが、なんとか成っていると思います。
この衆妙の門とは、
道の道たるとすべきは、常の道に非ず。 |
玄の又玄、
これを衆妙の門と言う。
私はこの老子の冒頭の一説を、七十余歳にして初めて読み下す事ができました。これまでの私は、
何故なら私は、元から老子だったのです。
しかし余談ですが、この当時の先生の話には、まだ老子はあまり出て来ませんでした。
しかし晩年の友田先生は老子と、芭蕉でお暮らしだったそうです。 しかし、とは言うものの、渾名(あだな)など小生にはどちらでもいいのです。
何時もカンセリングの研究討論が佳境に入ると、決まって発言を求め、訳の分からない事を言っていたそうです。
それを見ていて或る人達は神様と渾名し、又或る人達はコマーシャルと渾名しました。 |
上へ▲ |
次へ< | 11 | 10 | 9 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 | >戻る |
トップに戻る |