しかし人々は、いまだ大我に目覚める気配はありません。 ・・・・・? どうしましょう。 どうにもなりません。 ・・・・・? 以上、これまでの物語が、釈迦が説かれた「道諦(どうたい)」という、真我(しんが)の「実態」です。 もう諦めましょう・・・・・? ・・・・・?
唯我独尊の新しい意味(十四)
「唯我独尊」の意味を、「諦めること」と改めたら、どうでしょうか。 「独り善がり」よりも、的を射た意味になるのではないでしょうか。 諦めるとは、忘れることではありません。存在している目の前の事実に対して、自分の思いを、通そうとする思いを止め、 通そうとしない自分に成ることを、諦めるといいます。 つまり、物事の一切に対して、自分の願いを消し去ることを、諦めるというのです。
すると、ここに滅諦(めったい)に至る真実の目覚めが、ありま・・・・・? せん。
アレ? 出てきません。
だめです。