出来ません。 絶望です。 ・・・・・? ならば、諦めるのです。
諦められなければ、絶望ではありません。まだ、望みがあります。 本当に絶望なら、もう、諦めるしかありません。人々は、この「諦め」を悟るために生まれて来た、求道者(ぐどうしゃ)なのです。 こと、ここに至って、まだ、「独(ひと)り善(よ)がりのうぬぼれ」に未練があるのでしょうか。 ならば、消滅の道を行きましょう。
なぜ、首を横に振るのですか。 そのような、未練の残る人々のために、釈迦は、生まれ堕ちるとすぐ、「天上天下唯我独尊」と言われました。なぜなら、この困難を乗り越えるために、叡智を備え持って生まれたのが、「唯我独尊」の、我だったからです。
ですから人々は、今こそ、ここを乗り越えるために、叡智を尽くさなければなりません。