日本では何故部分照明が普及しないのでしょうか。
天井に設置した蛍光灯で部屋の隅々まで照らすのが、一般的な家庭の照明方法になってい
ます。あたかも薄暗い事を嫌うがごとく煌々と照らします。
戦後、裸電球の薄暗い明かりの下で貧しいながらも明日(明るい日)を夢見て皆頑張って生
きてきました。
そんなある時、蛍光灯というまるで昼間のように明るい照明が登場しました。明るくて心まで
ハッピーにしてくれました。明日の生活全てを約束してくれそうな、そんな魅力的なものに人々
は魂を奪われてしまったのです。明るい事はいいことで、薄暗い事は貧乏くさいというイメージ
がこの時確定したのだと思います。
それから随分年月も経ち、そこそこ裕福になったはずの日本人の生活の中で一番遅れてい
るのが住宅です。
その中でも照明については、伝統がなくロウソクや行灯からランプへ、そして裸電球を経てい
きなり蛍光灯による全体照明という極端で単純な歴史しかない。照明の文化というものがま
ったく発展してこなかった。
ここで部分照明について少し考えてみましょう。
少し前に南アルプスに登って山小屋に泊まったことがある。食事の時だけは発電機で少し明
るい照明がついていたが、それ以外はランプの灯りだけ。炬燵に入って同宿の人達と話をす
るのだけれどランプの灯かりはとても暗い。向かい側の人の顔がやっと見える程度。
しかしその空間の密度は濃かった。他には何も見えるものがなく、そこで話している人の存在
だけがクローズアップされて嫌でも心が一つになっていく。その場の空気を共有しているという
雰囲気が自然に生まれる。
囲炉裏にしても同じことで、周りが暗いがゆえに「その場」に心が集まって一体感が生まれます。
こんな風に周りが暗い方が一体感が生まれ、余分なものが見えないために落ち着いた雰囲気
を作り出してくれるのは確かです。
もし明るい部屋が居間だけしかなかったら、家族は自然にそこに集まってきます。逆にどの部
屋も明るすぎるほどに照らされていたら気持ちは分散してしまい、密度の濃い空間は生まれよ
うがありません。
また、読書をするのに部屋全体を明るくして本を読むより、自分の手元だけを照らして周りを
暗くした方がより本に集中できることも確かです。
この様に部分照明は、落ち着きと集中する意識を演出してくれます。必要な場所のみに灯か
りを点け、それ以外は思い切って照度を落としてみると、今までとは違ったイメージの部屋に
生まれ変わるでしょう。間接照明などで壁や天井にライトを当てるのも奥行きのある空間とな
って面白いと思います。
和風の空間で部分照明するのに適当なものがないのが現状ですが、洋風化が進んだ今はフ
ロアスタンドやクリップライトを工夫してみるのもいいでしょう。たまにはローソクだけで音楽を
聴くのもいいかもしれません。
暗い空間を恐れない事です。暗さの中に情緒があるのです。
「陰影礼賛」谷崎潤一郎 著 が参考になるかもしれません。