梵字への思いつれづれに 「 梵字タペストリー 」


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■ 2007 7/8 梵字の功徳?  
 「B'z」ファンであるカミさんが、「SHOWCASE名古屋」なるコンサートのチケットを電話予約でゲット。
いとも簡単にゲットした感じだが、ファンにとっては相当難しいことらしい。本人は絶対取れると確信していたらしいが、根拠があるわけでもない。
 私としてはこれは正しく梵字のお陰だと信じて疑わず、特に「三面大黒」のご利益だろうと思っている。

 梵字を染めるようにになってあちこちに作品が飾ってあり、梵字と接していると何か良い事がありそうな気がいつもしている。
最近はいい事があれば梵字のお陰だと思い、そう思える事そのものが幸せな事だとも思う。

 「三面大黒」のハンカチを名古屋市博物館の「ミュージアムショップ」で販売を始めました。興味ある方は一度ご覧下さい。




■ 2007 5/6 九死に一生  
 昨日、梵字を何点か購入して頂いている方のご主人が、大変な病気に罹り大変だったと聞かされた。
「加藤茶」と同じ心臓病というから、大動脈乖離という最も太い血管の内部が裂けてしまうという難病だ。

 幸い手術は成功し無事退院されたとのこと。当人はICUから出るまで意識が無く、意識が戻った時には管や各種の装置類が外された後で、 苦しみを全く知らずに済んだのだそうです。

 こちらの方は、南無阿弥陀仏の梵字「六字名号」や梵字の暖簾、守り本尊など沢山の作品をお使いいただいています。
 御父さんの法事には、引き出物に「六字名号」を配られるほど、梵字を身近なものに感じてくれている方です。

                           ●

 実はここ1年余りの間に、心臓の大手術で奇跡的に助かったという人が私の周りで、3人目なのです。
 3人ともが共通して私の作品を使って頂いている方で、二度ならず三度も続けてこういう事が有ると、これはもう単なる偶然とは思えなくなってくる。

                          ○

 昨年の一月、近所の親しい中年女性が自宅で倒れ、地元の市民病院に緊急入院。肺に水がたまっていて症状が重く、心臓の機能が著しく低下していたらしい。
 検査の結果、心臓の血管の幾つかが石のように硬くなって機能していないことが判明。快復を待って心臓の手術の出来る別の市民病院へ搬送されることに。
しかし、病状は重く危篤状態となり、転院の搬送中にも万が一の事が有るかもしれないと、ご主人は告げられていたらしい。

 手術以外に助かる術は無く、しかし長時間の大手術に耐えられるかどうかが問題。90%無理と思われていたらしい。
 何本かの血管を腕や足から取り、心臓へ移植手術。助かったのが不思議なぐらいの瀕死の状態だったと、術後に医者に言われたとのこと。
 正に、九死に一生を得たという。

 こちらのお宅では、何年か前に衝立の注文を頂き、据え置きタイプのものを玄関で使ってもらっている。また昨年には、ご主人に梵字の守り本尊「タラーク」をTシャツに染めてプレゼントしている。

                          ○

 もう一人もやはり近所の奥さん。今年の一月、深夜に同じ解離性大動脈瘤で倒れ、救急車で隣の市の市民病院へ入院。 5時間にわたる緊急手術で奇跡的に一命を取り留めた方がいます。

 偶然に偶然が重なって、奇跡が起きたと医者に言われたそうです。
 最初の幸運は、救急隊員が即座に地元の病院ではダメと判断して心臓手術が出来る病院へ搬送した事。あと数分遅れていたらどうなっていたか分からなかったとのこと。
 二つ目は、偶然にも当直医が外科医だった事。三つ目は、深夜にもかかわらず担当スタッフが全員集められたことだそうです。
 心配された予後の経過もよく、手当てが早かった事で後遺症は残らずに済んだとのこと。

 こちらのお宅では、梵字の「六字名号」の掛け軸と、衝立をお使いいただいているのです。
当の奥さんに購入して頂いたもので、衝立は初めからこちらのお宅で使っていただくことが決まっていたかのごとく、玄関にピタリと収まってビックリ。
 こんな事が有り得るんだと、その時は本当に驚き、因縁深さを感じたことを思い出した。  




■ 2007 2/9 三面大黒  
中央に大黒天、向って左に毘沙門天、右に弁財天。
秀吉も愛した幸運のシンボル。別名「出世大黒」ともいう。

弘法大師が天台宗と寺門興隆の為、比叡山延暦寺に祀ったのが始めで、その霊験があまりにも 大きいことから全国に広がりました。

風水では西にあって幸運をもたらすという黄色にあやかり、天台宗に倣って三神が合体している姿として 明るい雰囲気のタペストリーに染め上げました。

また、幸運を呼ぶ布として薄手のハンカチに染め上げました。

これで宝くじを包んで、西の箪笥にしまっておいたところ、年末ジャンボの5等(3,000円)が当りました。

これは結構いけるかもしれないな。
宝くじなんて当った事がないのに、初めて当ったのですから。




■ 2006 7/25 家族の守り本尊  
  家族の守り本尊を一枚にまとめ、黄色を基調にしたタペストリーの制作依頼を受けた。

四人家族のそれぞれの守り本尊を上(母-千手観音)、下(父-阿弥陀如来)、右(長男-虚空蔵菩薩)、左(長女-普賢菩薩)を配し、 中央に全ての諸尊の象徴としての大日如来を置いた。

 円形で家族のまとまりと団欒を象徴し、「天と地に抱かれながこの世界に存在する」という姿をタテのラインで、 「社会への広がりと繁栄」を思い願ってヨコのラインで表現した。

    黄色は、風水によると西側に置いて吉、また黄金を象徴し太陽の輝きを意味する。
かのゲーテは「黄は光に最も近い色である。その至高の純粋さにおいて常に明るさという性質を帯びている」と述べている。


■ 2006 7/2 六字名号
  「六字名号」が床の間飾りとして人気がある。
掛け軸と違って巾が狭く、余分な装飾がなく梵字だけのスッキリしたところが人気の理由か。

 巾が狭い割には長さがあるのでそこそこのボリュームがあり、床の間での存在感がある。
半間の空間に意外と良く収まっていい雰囲気をかもし出してくれる。

 また、柱があれば掛けられるサイズなので、壁が無くても使用でき、和室にはもってこいの装飾となる。


■ 2006 6/25 仲間
 梵字仲間が増えて非常にうれしい今日この頃。
もの造りが好きで色んなものに果敢にチャレンジしている女性がいる。
絵手紙に始まり、藤蔓を使った籠やオブジェの制作、クリスマスには自宅に壮観なイルミネーションを飾り 近所でも有名な人。他にもパンやシフォンケーキにも凝っていると言う。

 そんな彼女が最近は「一閑張り」に凝っていて、独学でマスターしてしまった。
その一閑張りに梵字を取り入れて、新しい境地の作品を制作している。
 今開催中の梵字タペストリー展に顔を出してくれ、わざわざ感動したと電話を掛けきてくれた。

 自分一人が試行錯誤していたと思っていたところ、私が梵字を染めていると知って 飛んできたのだという。
 形の面白さ、意味の深さに惹かれ「梵字」は正にアートそのものだと・・・
行動的でパワフルで元気一杯のおばちゃん。今そういうものに関心を持ち始めた人が多いみたいとも言う。


 今回は初日から作品が動き、関心の高さが覗える。
ケーブルテレビの放映も予定されているので、多くの人に見てもらえるのではと期待している。
明日の取材時には立ち会えないので、昨日前もって取材を受けた。
 作品展のメッセージはと聞かれ、「自分と向き合う事をしない現代日本人が、自分を取り戻すきっかけとして 梵字を身近に取り入れて欲しい」と話す。 


■ 2006 6/7 「阿」字
 ひらがなの「あ」、アルファベットの「A」等、文字列の先頭に来る1字が、世界中で共通に「あ」と発声すします。
「阿(あ)」は開口音でものごとの始まりを意味し、「吽(うん)」は閉口音でものごとの最後を意味します。

 「五十音」は密教の聖典を記述しているサンスクリット「梵字悉曇字母」が起源とされています。
 密教で「阿」字は胎蔵界大日如来をあらわし、「阿字観」という瞑想法に用いられる重要なものとされています。

 「ア字」はすべての根源で、「本来不生不滅なる存在であるということは、いくら推察しても認知する事は出来ない」 という字義が与えられています。

 私も最初に制作したのが「阿」字でした。素人が密教の世界で重要な位置を占める「梵字」を勝手に扱っていいものか、 真言密教の知人に相談しました。

 サンスクリットそのものはインドの古代文字であり、「祈祷」をして魂を入れたものは信仰の対象になるが、そうでなければ問題ないでしょうとのことでした。

 密教では、宇宙の初め万物の根源を意味し、悟りを求める菩提心をあらわす「阿」字は、形そのものも字義も大変興味深いものでした。

 最初に「命点」を打たないものは単なる文字に過ぎず、ほとけの文字としての「悉曇」ではないということから、 敢えて「命点・発心点」を強調する事としました。そしてデザイン上のアクセントとしての効果も考えて色を入れることとした。


■ 2006 5/1 毘沙門天
 アメリカのデンバーに住む日本人柔術家から、「毘沙門天」の壁掛けの注文を頂いた。

 彼はアメリカという地にあって、形骸化した今の日本の仏教に少なからず落胆している。
 仏教は本来、自分自身の内観からはじまる小乗仏教であって、そこから大乗仏教の他者への正しい方向へ の導きができればというのが理想の考え方だと言う。私もかねてからそう思っている。

 自分自身を内観せず己を知らないひとが他者救済などをしても、心から伝わるものはなく偽善者的にさえ 写ってしまうのではとも言う。全く同感。

 アメリカでは今「ブディズム」と言って、仏教の考えに興味を持ち始めてる人も多くなってきたのだとか。

 古代インド神話のクヴェーラ(音写:金毘羅)が仏教にとりこまれ、ヴァイシュラヴァナとなった。 毘沙門はその音写であり、 また、別名を多聞天(たもんてん)という。 多聞はその訳「すべてを一切聞きもらさぬ知恵者」の意。

    「毘沙門天」は、「上杉謙信」が邪悪を祓い降ろす降魔の神として自らの旗印にも「毘」の文字を使った。
「武田信玄」もまた、仏教守護の軍神ともいうべき毘沙門天への思い入れが深かったという。

 毘沙門天は、四天王の一人。日本では財宝や福徳を与える神様として、七福神の一神としてお奉りされている。 また、吉祥天の夫ともされ信仰を集めました。


■ 2006 4/22 南無阿弥陀仏
 梵字による六字名号「南無阿弥陀仏」の掛け軸を、父親の法要の引き出物にしたいとの注文を頂いた。
 既に何点か購入いただいている方からの注文で、どれも気に入ってくれていて配色は任せてくれるとのこと。
    20cm巾の厚手で、ランダムに黒っぽい横糸が入った麻布を使用。 趣があり発色もいい素材なのでそれを活かすことに留意。動きを出すために二色を交互に配して変化をつける以外はスッキリと仕上げる。


 文字通り「ナムアミダブツ」を梵字で表したもので、「南無阿弥陀仏」の漢字そのものには意味はない。

 弘法大師は、経文は梵字でないと本当の意味が伝わらないと言い、日本に梵字を持ち込んで普及に努めた。
 漢字で書かれているよりも梵字の方が神秘的な雰囲気もあり、本来の意味が伝わって来るように思う。

 浄土三部教では真心から浄土を願って、この念仏を唱えれば必ず極楽浄土へ往生できる、と教えている。

 親鸞聖人の門弟である唯円という人が書いたといわれる「歎異抄」にはこんな内容が書かれている。
 阿弥陀如来の誓願の不思議なちからに救われて、往生を遂げさせていただくと信じて念仏を申そうという思いがおこるとき、ただちに阿弥陀仏は大悲の光明のなかにおさめとり、救いの利益をいただく。

 阿弥陀如来の本願には、老人と若者、善人と悪人というわけへだてはない。ただその本願の救いをはからいなくお任せするという信心が肝要であるとする。
 「他力本願」・・・「他力」とはそのまま「阿弥陀仏の本願の働き」であり、さらに自らの働きもしくは行によっては往生は成就しないということをも意味しているとされる。

 本願を信じたうえは、往生のために他のどのような善行も必要としない。如来よりたまわった本願の念仏にまさるほどの善はないからであり、またどんな悪も恐れる必要もない。阿弥陀仏の本願の救いをさまたげるほどの悪はないからであると・・・・・。


■ 2006 4/6 久游染めとキリク
 セレモニーホールに飾る梵字「Amitabha」の額装が完成。先日、出来具合を
確認に行って来た。
 四方に無限に照らす無量光

 月輪(がちりん)に「キリク」が浮かぶ。

 聖者を背に乗せ、マントラの声を合図に、

 西方の極楽浄土を目指して、旅立たんとす

 雰囲気だけでもと思い、とりあえず壁に立てかけて撮 影してきた。たぶんロビーに飾る事になりそうだ。  作品のタイトル・コメントのプレートにを添えて。

  是を契機に梵字に興味を持つ人が増えてくれる事を願うばかり。こちらでは「梵字による干支の守り本尊」のパンフレッ  トも用意し、販売も出来るようにと考えている。


■ 2006 3/31 弥勒菩薩
 先日、30cm巾の麻布に「弥勒菩薩」のタペストリーを制作した。
「弥勒菩薩」が天から降りてくるイメージを色彩を抑え、シンプルにまとめた。自分では大変気に入っている。

 「弥勒菩薩」は菩薩の中でも特異な存在で、実在の釈迦の弟子であったとも言われている。

 現在は菩薩として、「兜率天」(やがて仏になる人が地上に降りるまでの間に過す世界)で説法を行っているが、 釈迦入滅後の五十六億七千万年後に、再びこの世に現れて、この世界にある「龍華樹」の下で悟りを開き、 釈迦の教えを受ける事が出来なかったすべてに人々のために、「三会」と呼ばれる三度の説法を行う任務を与えれれている。

 835年3月21日、空海(弘法大師)が入定しようとした時のこと。弟子たちにこう言い残したと言われている。
 「私はこれから入定し、兜率天(とそつてん)へ昇って、弥勒菩薩の御前にへと参るつもりだ。そして五十六億七千万年後、 弥勒菩薩とともにこの世界に戻ってくる」。


 弥勒菩薩は弘法大師の種字(梵名・ユ)でもあり、四国八十八ヶ所霊場巡礼に用いるものには、 この梵字(ユ)が書いてあることはご存知の通りです。


■ 2006 3/1 セレモニーホール
 セレモニーホール、いわゆる葬儀場が、最近は小家族向きに小さな自宅の居間の様な控え室を設えたものがでてきた。

 名古屋の老舗「三輪本店」の紫雲殿は、2005年暮れに「くすのき斎場」をオープン。
モデルルームのような控え室は4LDKで、チョット豪華なマンションの一室のよう。 2006年1月24日中日新聞(地域経済欄に掲載記事)

 最近は冠婚葬祭に金を掛ける名古屋でも 「近所付き合いが希薄になり、葬儀費用も抑える傾向にある」とか。

 「最期ぐらいは会社などに気を使わず、家族だけで過ごしたい」と考える家族が団塊の世代を中心に増えてきているという。     

 葬儀場というのは「死」を見つめると同時に、生を考える場であって欲しいと思う。「死」は決して特別のことではなく、どんな人でも必ず死ぬ。

 いつか死ぬのではなく、明日死ぬかもしれない。

 上記の「くすのき斎場」に友人を通して、梵字作品「Amitabha 無量寿如来」を寄贈した。
 社長の一言で額装にすることに。W130cm H150cmの大きなものなので「額装」となればかなりのサイズになる。

 間もなく壁に飾られ、多くの人の目に留ることになる。何かを感じていただければ幸いと思う。


■ 2006 2/24 種字
 最近、まったく梵字というものを知らない人が不思議な文字の形に惹かれ、興味を持つという現象が現れてきた。

 そういう入り方のほうが自然でいいのかなと思う。
何となく梵字に惹かれて身近な存在になり、すこしずつその奥深さを知っていく。
そして自然に仏の世界に興味を覚え、仏像やお寺に関心が向いて行く。

 今まで何んとなく訪れていたお寺で梵字発見したり、梵字の意味が分かったりすることも楽しいことです。

 どんな仏様にも種字があり梵字で表されています。
如来、菩薩、観音、明王、金剛力士、十二天、皆それぞれにある。

 自分の好きな仏様を見つけるか、反対に梵字の形から入るかそれはどちらでもいい。

 ある仏像の姿に惚れて虜になったら、その仏様の梵字を飾ってみる。それが現代人の正しい仏様への意思表示? (^。^)

 自分が好きなものなら宗派を問わず、どの御仏を飾っても構わないんです。
仏の教えは心地よく浄化されることなんですから。宗派にとらわれることなんて全く意味が無い・・・・。

 皆が平穏で幸せに生きることが、御仏にこめられた願いなのだから・・・・・。

     
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