「お仕事クロニクル」 beauty Woo 2006/9 vol. 565 
仕事を通して綴る人生の変遷史 vol.9
「イメージを頭にはっきりと描き、それを完成まで一気にもっていく。そうするとい いものができるんです。過去のことを思い出しながらつくれば、作品が死んでしまう。」
有松・鳴海地区では初の図案士として絞りの世界へ

 60年代後半、高度経済成長がはじまったころ、久游さんは当時の花形職業であったグラフィックデザイナーをめ ざし、せんもんに学校へ通っていた。誰もが経済発展に夢を持って働く一方、環境破壊、それによる健康被害が 取り上げられていた時代。「開発と言う名の破壊」── 当時はそう表現されていた。「経済発展とひきかえに、 昔ながらのいいものがなくなっていくな」と感じた久游さんは、グラフィックへの興味を急速に失ってしまう。 専門学校を辞めると、5万円を携えて1年間の全国放浪の旅へ。大阪万博開催の年で、万博会場でアルバイト したこともあった。
あるとき、鳴海絞りのメーカーが図案士を募集していることを知る。メーカーが図案士を雇うのはこの産地では はじめてのことで、これは面白そうだと早々応募。グラフィックを学んでいた経験も買われ、晴れて採用となる。 「図案を書くためには、絞りの技法も知らないといけない。サンプルづくりと称して、職人さんにいろいろ教わり ました。だけど、メーカーが大量生産するものは上代や加工賃が決まっていて、好きなように図案を描けるわけ ではないんです。それなら自分でやった方がいいんじゃないかと、単純な考えで創作の道を選んだんです。」
 13年間勤めたメーカーを辞め、独立した久游さんは、昔ながらの伝統技法でどこまで表現できるかをテーマに 作品づくりをはじめた。伝統技法でどれだけ凝ったものをつくっても、オリジナリティを表現するのは困難。それは、 メーカー勤めのときから理解していた。そんなとき、ある展覧会で片野元彦さんの作品を目にし、衝撃を受ける。 片野さんは60歳近くになってから絞りを始め、苦労して新しい表現技法を生み出した人。それは、布を屏風畳み にして生地を縫い、染色するというもの。片野絞りに魅せられた久游さんは、それを踏襲しながらも独自の表現 方法を模索しはじめる。布を重ねて染めることによる欠点、つまり表面と中の色の染まり方の違いを克服したいと 試行錯誤。そして、苦心をして独自の表現方法へと昇華させていった。

現代的な多色表現で独自の世界を確立

 片野絞りを追従する表現者は多いが、久游さんのように多色で表現している人はおそらくいない。万華鏡のように 色鮮やかで、緻密な絵柄が描かれた、シルクオーガンジーを見ると、絞りであることがにわかに信じられないほど。 「色が命といってもいいです。どんなに面白い模様をつくっても、色で失敗したら気持ちの悪いものになってしまう。 もともと、絞り独特の泥臭い雰囲気は好みじゃなくて、もっとダンナ、今の時代にあったものを、と思っていたんです。 はじめは木綿や麻でやっていたけど、シルクオーガンジーと出会ってから自分の世界が確立したと思います。」
 絞りの難しさは、ほどいてみるまで結果が分らないこと。布の畳み方や種類、染料の濃度、染色温度や時間・・・ それぞれが複雑に影響して完成に辿り着くのだが、その経過を確認することはできない。染色の技術はもちろん、その ときの気分、感覚、イメージが凝縮されたものが作品になるという。「イメージを頭にはっきりと描き、それを完成まで 一気にもっていく。そうするといいものができるんです。過去のことを思い出しながら作れば作品が死んでしまう。 何がつくりたいかというイメージや気持ちがあれば、技法がわからなくても何とかなるもの。表現したいものがあれば 自分で試行錯誤するし、アドバイスもすっと入ってくる。みんな、結果ばかりを先に知りたがるでしょう。だけど 過程がないと何も身につきません。やりたいものがない、追求する気持ちもないでは、何をやっても進歩しないんです。」

制約の中で表現する面白さ

 シルクオーガンジーの作品と並び、久游さんの代表作品ともいえるのが梵字のタペストリー。3年ほど前、鬱状態に 陥ってしまった久游さんは、仏教の本で梵字と出会い、その奥の深さにはまってしまう。以来、知多半島から梵字を 発信するというのが目標となった。シルクオーガンジーの繊細さと梵字の力強さ──異なった表現だが、久游さんの 心の中ではともに繋がったもの。梵字のほか、いまは短歌づくりにもはまっているそう。一日一首詠み、ブログにも 発表している。「一首作ろうと思うと、ものごとを、より見つめるようになるし視点や見方も変わる。短歌は定型に はめるっていうおもしろさがあるでしょう。何でもそうだと思うんですが、制約があったほうが入りやすい。生き方も そうで、自由を言い過ぎると、何をやったらいいか分からなくなる。そうすると、今自分が持っている限られたものの 中でどうするか、という考え方にも繋がると思うんです。若い頃は、染めるのも自分がこれと決めた素材にしかやりたく なかった。だけど本当はそんなの大したことじゃない。素材のムラなんかも、オリジナリティーになる。年をとると 何でも受け容れられるようになるんです。」

株式会社美容文化社